長年営業していたお店の整理をしているという連絡をいただいた。
長年営業していた事、こだわりを持って営業していた事もあって沢山の器がそのまま残っていた。
それをもしよければ、引き取ってもらって使って欲しいという連絡だった。
この幼馴染は保育園からの付き合いで、親父さんもそのころから知っていたし
遊びにもちょくちょく行った。お店は長細く薄暗いイメージだった。
それもそのはず、営業前の仕込み後?に大体遊びに行っていたから店は暗かった(笑)
生簀にすっぽんがいて、何かあると親父さんに「指を噛ますぞ」とからかわれていた気がする。
幼馴染の家というイメージしかなく、大人になってからも食べに行った事は一度もない。
多分、フグ・すっぽんなどの食材を使っていたわけだから中々高級居酒屋か寿司屋だったのかな。
(今度聞いてみよう)
そんな、お店の器をいただける事になりありがたく頂戴してきたm(__)m
飲食にとって器は非常に大切なアイテムの一つ。であると共にもっとも儚い存在でもある。
形あるものは何とかこうとか。。というように本当にふとしたことで、かけるし割れる。
その儚さゆえに、どのレベルの器を使うかというのは本当に頭を悩ませる。
cozaruはオープン当初ある一人の陶芸家。本人は嫌がるから茶碗屋かな?
に、器をまとめて制作していただいた。(それだけではないですが)
店の雰囲気、提供するメニューによって器を選ぶし制作してもらう。
当たり前の事です。
ですが、cozaruは実は色々なご縁があって今回のように器をゆずってもらった事が過去に2度あります。
最初は店の雰囲気に合うかな?とか失礼ですが古臭いかな、とか考えてしまった事があった。
ですが、今ハッキリといえるのは譲り受けた器は間違いなくcozaruにマッチしてますし、
cozaruの料理を1つ上、2つ上まで持ち上げてくれています。
ある人が料理は
前味・中味・後味
という3つの味からなる。と言っていました。(詳しくは機会があれば)
その前味。見た目によるインパクト、味の想像。
器は前味において重要なアイテムです。
cozaruの前味はこの受け継いだ器たちによって随分助けられています。
そして何より儚い器であるにも関わらず、今日まで使い続けられている奇跡こそが
もっとも重要で希少な存在であるという事です。
値段や様を超える器なのです。
そこに盛りつけられる料理はそれすらも奇跡です。(大げさですが)
どんな単純な食べ物でも料理になると。
本当にありがたい事です。先人の想いのこもった器を今cozaruで使わせていただく事のありがたみを。
新しい器も、もちろん新鮮でパワーはありますが、この器たちは一味違うパワーをもっています。
と長々と書きましたが、食べていただくお客さんがいて初めて輝きますし、
変に気を使ってもらう必要もありません。楽しめなくなるのが一番嫌ですから(笑)
いつか形は崩れますし、お暇をあげるのも器にとって大切な事です。
今回いただいた器たちは随時、洗浄でき次第登場します。
これからもcozaru共々器もよろしくお願いします(^-^)
追伸:おっちゃんありがとう。

